(-1.56751’S)(0.02267’E)

2023.10.01

よく通る場所で、三軒隣の定食屋には行った事もあったので、見知らぬ場所とは感じなかった。それでもこの時は、私はまだ家の所有者Mさんにもお会いしてなく、どういう気持ちで中におじゃばすれば良いかわからなかった。鍵を預かっていた中川が玄関を開け中に入る不思議な体験。不動産屋の案内もなく、Webに全貌が載っている訳でも無いので、自分の視線と足で全貌を開拓していく体験が森の中を歩いているようだった。電気が通っていないので洞窟のようにも感じた。薄暗いあやしさはあったが、一度通った部屋を振り返ると落ち着いて見れて、綺麗な状態のお宅だと思った。玄関と最初に繋がっている部屋には、初めて見るコンクリートで形作られた(文字通りの)凹みが2つ並んでいた。絶対にこの凹みが特徴なのだが、建具のかわいらしさや光の差し込み具合のあたたかさによって親近感の印象も強く、もうここは自分の所縁の場所になるのだと思った。凹みは昔防空壕が掘られていた場所を埋めた場所らしい。事前に中川が少し荷物を寄せてくれた。荷物は最初からあまり置かれていなかったようで、一層綺麗な状態になっていた。片付いた部屋と凹みと日差しを眺めながら、この場所の所感と、想像の過去と未来について二人で意見を交わした。仕事という気分でもなく、課題という気分でもなく、「いいね」という心情を共有しながらつらつらとまとまりなく話した。

2023.9.5

教えてもらった住所に到着すると、家の前に二人立っているのが見える。Mさんと旦那さんだ。Mさんは爽やかな赤色のカットソーを着ている。軽く挨拶を済ませて、早速中に入る。奥行きがある土間の玄関は、木製ガラス建具で仕切られていて、全貌はまだ見えない。年月を経た木製建具の色が味わい深い。ガラスはすりガラスで模様が入っている。ああ、こういうガラス、実家にもあったなと思い出す。木製建具を開けると、広めの板の間に続く。板の間の中央付近に二つ、モルタルで固められた凹みがある。これが防空壕のあと?想像していた防空壕と違って一瞬とまどった。土間から地下にのびる穴のようなものがあると勝手に想像していたけれど、今目の前にあるのは、防空壕というより、コンクリート製の囲炉裏だ。これはこれでおもしろい。

ふり返ると、Mさんが道路に面する窓を開けて外の空気を通していた。中から見る外は思いのほか眩しくて、一瞬目が眩む。目がなれてくると、お向かいさんの前庭の樹木が窓から借景的に見えた。板の間の床には外の光が反射して、映り込んでいる。空間に光と風が入って、少し生気が戻ったような気がした。窓の近くで風を感じながら、Mさんの思い出話を聴いた。Mさんは末っ子で、上に3人お姉さんがいる。お父さんは畳職人で、この板の間の奥半分が今より少し床が上がっていて、畳を作る作業場になっていた。板の間の前半分は土間だった。小学生の頃から理科好きで、カエルの解剖も率先してやった。中学のときは授業後に毎回先生に質問しにいくくらい勉強熱心で、将来は薬剤師になるのが夢だった。しかし中学2年生のとき、お父さんが急に亡くなり、その時点で大学進学はあきらめた。本当は泉丘高校に行くつもりだったが、大学に行かないのなら二水の方が良いというアドバイスを受けて二水高校を選び、高卒で就職した。たまたま大手の製薬会社の募集があって採用されることになり、その後は長く製薬会社の事務職員として勤めた。兄弟に男がいなかったので、今の旦那さんに養子に来てもらい結婚した。Mさんは胎児のときに雲を見た記憶がある。小学校のときは、雲を題材にした作品を作った。詩のようなもので、校内に展示されていた。今でも雲が好き。俳句が趣味で、いくつかの句会に参加していて、月に50句は詠んでいる。普段から言葉を大切にしている。特にてにをは、助詞は大事。それだけで意味が変わってしまうから、気をつけている。

Mさんの話が面白くて、つい聞き入ってしまったけれど、まだこの部屋しか見ていない。一度話を中断して、他の部屋も見せてもらうに。奥へ向かう途中、板の間に無頓着に落ちている柱の間を抜けていく。柱には不思議なスイッチがついている。印刷機を動かすための動力スイッチだろうか?

板の間から仏間を挟んで縁側の先に小さなお庭。その横にのびる廊下の奥に便所がふたつ。金沢では珍しい汲み取り式だ。お姉さんの引っ越しの後、業者に頼んでしっかり清掃しており、今はもうタンクも空になっているとのこと。一番奥にある便所は洋式の便座が据えられている。扉はなくて廊下にオープン。開放的だ。

板の間に戻り、玄関の近くにある階段を登ると畳の部屋がいくつもある。勾配天井の畳の部屋は天井が低くて薄暗く、秘密基地のような雰囲気。一方、二間続きの和室の方は明るくて公民館の和室のような和む感じがある。ひとつの家の中に様々な個性を持った空間が散らばっていて、楽しい。

一通り見せてもらった後、また玄関横の道路に面する窓のところに戻って、風を感じながら少しお話する。この家の色んな未来の使われ方を想像して二人で話す。この窓からテイクアウトで焼き芋を売る。2階の和室でこども俳句会ひらく。板の間をシェアキッチンにする。お庭をきれいに整える。水洗トイレにする。色んな可能性がある。そういう想像を膨らませるのが楽しい。話の最後に、Mさんは、「この人は、これまで十分に役割を果たした。これからは、この街が元気になるような使い方をしてくれると良いと思う」と言った。お家のことを「この人」と擬人化して呼ぶところに、Mさんの人柄があらわれているように感じた。ラインを交換して、また近々会う約束をした。
その晩、Mさんからラインが届く。メッセージの文末には、俳句が添えられていた。






新進の 気鋭と出会ふ 初紅葉




2023.9.5  10:00-12:40 wrriten by Toshiyuki Nakagawa

2023.9.1
はじめての電話

Mさんとのはじめての電話。所有されている空き家の話を少し伺った。家は、明治か大正の頃に建てられたもので、戦時中は家の中に防空壕の穴が掘られ、空襲警報が鳴った時はその穴に避難していたらしい。戦後は、Mさんのお姉さん夫婦が住むことになり、印刷所をはじめた。家の道路に面する1階の半分が印刷所だったようだ。当時の印刷機は背が高く、天井高の低い町家に入れるのは難しかったが、防空壕を埋めた跡が地面より少し低い床となっていて、そこに背の高い印刷機を設置することができた。お姉さんの旦那さんが亡くなったあとは、お姉さんお一人で住んでいたが、昨年、高齢のひとり暮らしも辛くなってきたことから、息子家族の家へ引っ越すことになり、空き家となった。

電話越しに空き家の住所を教えてもらい、パソコンでグーグルストリートビューを見ながら続けて話をする。ここで新事実、空き家は実は2軒あって、防空壕があるのは向かって右の町家。左の家は右の町家と2階で繋がっていて、見た目は2軒の家だけれど、中で繋がっているという面白いつくりらしい。もともとは内部も分かれている2軒の家だったが、昭和53年、Mさんが31歳のとき、1階を駐車場にした際に2階を繋げたとのこと。1階は鉄骨で補強されてピロティとなっている。駐車場は近隣の方数名に貸しているようだ。

2023.9.1 15:50 Toshiyuki Nakagawa

何かこれから楽しい出来事が始まっていくような、そんな予感に満ちた時間だった。

昨年空き家になってからは、Mさんの発案でカフェにしようと考えたこともあったが、具体的には進んでいない。一度、中を見せて欲しいとお願いすると、二つ返事で快く引き受けてくれた。早速、週明けに見せて頂くことになった。Mさんは、会ったこともない僕からの質問に、とても丁寧に、そして楽しく答えてくれた。空き家で困っているというわけでもなく、この家で何か面白いことできないかなという感じだ。電話越しで、顔も見えない中、たった15分の会話だったけれど、何かこれから楽しい出来事が始まっていくような、そんな予感に満ちた時間だった。

Written by Toshiyuki Nakagawa